真田幸村と片倉小十郎の絆

 真田幸村を主人公とした大河ドラマ実現を、宮城県蔵王町が後押ししている。

 名将真田幸村の血縁である「仙台真田氏」ゆかりの宮城県蔵王町は9日、幸村の大河ドラマ化を求める署名が目標数に到達したとして、節目の1万3200人目の署名に協力した新成人に記念の花束を贈った。


(中略)


 伊達家は、重臣白石城片倉小十郎景綱が、大坂夏の陣後に敵方の幸村の次男を養育し、現在の蔵王町東部に領地を与えた。このため町内には幸村ゆかりの子孫が暮らす。町は真田氏発祥の地である長野県上田市住民団体の協力に応じ、2010年8月にドラマ化の署名を始めた。
 町人口の1万3200人を目標数に掲げ、町外の観光客なども含め1万2000人分を既に上田市へ送った。町はことしいっぱい署名活動を継続する方針だ。

http://www.kahoku.co.jp/news/2011/01/20110110t15027.htm


 http://www.city.shiroishi.miyagi.jp/section/kikaku/sanada/top6.htmlにもう少し詳しい説明がある。

 元和元年(1615)の大坂夏の陣の際、大坂方の智将・真田幸村は、伊達政宗麾下の片倉重長に4児(名前不詳の女児を加え5児との別説もあり)の養育を託して陣中に送ってきました。阿梅・阿菖蒲・おかね・大八の4児と、穴山小助の娘と伝えています。
 遺児達が、白石城二ノ丸にて秘かに養育されているのを聞き、真田家家臣吾妻佐渡一族・三井奉膳等も、白石に身をよせてきたと伝えています。
 やがて、阿梅は白石城主・片倉2代重長の後妻になり、阿菖蒲は田村定廣の妻となりましたが、おかねは早世し、大八は片倉四郎兵衛守信と名乗り、伊達家に召し抱えられています。(別説におかねは、石川宗雲(林)の室となっていたともいう。早世はおかねではなく、名前不詳の女児との混同としているが、白石には伝わっていません。)


 新聞記事では片倉小十郎景綱となっているが、白石市のHPでは片倉重長となっている。片倉家当主は代々小十郎を名乗ることになっている。初代景綱が病床に臥せっていたこともあり、嫡男重長の方が大阪夏の陣に出陣した。父親に負けず劣らずの猛将だったと伝えられている。
 片倉小十郎景綱は、伊達政宗の右腕として有名であり、人気ゲーム「戦国BASARA」でもサブキャラクターながら熱い支持を受けている。宮城県では、全国区の伊達政宗と並んで片倉小十郎関連商品が多数出回っている。

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 真田幸村と片倉家の関係は、宮城県でもまだ知れ渡っていない。当然のことながら、関連商品もないので、こちらの方は「戦国BASARA」のフィギュアを紹介する。

リボルテックヤマグチ No.080 戦国BASARA 真田幸村

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 伊達政宗はともかく、片倉小十郎伊達政宗は徹底的にデフォルメされている。とても戦国時代の武将とは思えない。
 真田幸村は、散り際の美学もあり、日本人の好きな歴史上人物の代表となっている。NHKでは、「真田十勇士」という人形劇が、1975年4月7日〜1977年3月25日まで全445話が放映され、高い人気を誇っていた。しかし、今まで大河ドラマ主人公として取り上げられたことはない。最近で「天地人」の重要キャラクターとして取り上げられたが、直江兼続の引き立て役にとどまっていた。
 片倉小十郎は伊達家の忠臣であり、真田幸村の遺児をかくまう際に伊達政宗の暗黙の了解があったことは想像に難くない。伊達政宗は、独眼竜という異名で知られ、人気が高い。1987年に放映された「独眼竜政宗」は、平均視聴率39.7%を誇る大河ドラマ最高傑作と言われている。国際的スターになった渡辺謙出世作でもある。
 真田幸村を主人公とし、見せ場である大阪夏の陣伊達政宗片倉小十郎主従とのエピソードをからめれば、面白いドラマとなるに違いない。なにしろ、歴女たちの支持が熱いトップスターが3人もそろっている。配役を考えるのが今から楽しみである。