岩崎弥太郎の死因

 NHK大河ドラマ龍馬伝」が好調である。リアリティーがある演出にひかれ、毎週欠かさず見ている。本日から第4部に突入した。第2次幕長戦争から大政奉還、そして幕末最大の謎である龍馬暗殺をめぐるドラマが描かれる予定である。


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 こ綺麗に描かれる従来の時代劇と異なり、みすぼらしい衣装、朽ち果てんばかりの住宅などが丹念に描かれている。時代考証にかなりの手間をかけているように見受けられる。一方、岩崎弥太郎に関しては、徹底的に狂言回し役を務めさせるなど娯楽性にも配慮している。そのようなスタッフの努力に少々水を差すようだが、今回、冒頭場面で岩崎弥太郎が咳込んだ後に真っ赤な血を吐き出した場面に関しては、医師として一言述べるべきかと思った。


 岩崎弥太郎は、明治18年(1985年)、共同運輸と三菱との激しい海運競争の最中に51歳で亡くなった。食欲不振、嘔吐があり、死因は胃癌と診断されている。NHKの製作陣は、胃癌という死因は認識していたようだが、消化管からの出血である吐血と、気道からの出血である喀血の違いに関しては知識がなかったと推測する。
 高杉晋作も血を吐いているが、こちらの方は肺結核である。肺結核労咳とも言われ、かつては国民病と言われ猛威をふるった。気道の脆弱性があり、激しい咳をすると気道の血管が破綻し真っ赤な鮮血が口から出てくる。一方、吐血の方は、癌や潰瘍のために胃内部に出血がたまり、その血液を嘔吐物として吐き出すため、コーヒー残渣様の黒色の血液を吐く。ただし、食道静脈瘤からの直接の出血は鮮血である。また、喀血を飲み込んだ後の吐血は黒色となることもあり、両者の鑑別が難しいこともある。
 今回の演出を見ると、岩崎弥太郎の血の吐き方も高杉晋作の喀血も区別がつかない。岩崎弥太郎も肺結核で亡くなったのではないかと誤解されてしまう可能性がある。
 なお、高杉晋作が亡くなったのは慶応3年(1967年)4月14日であり、ちょうど大政奉還(慶応3年10月14日)の半年前である。享年29歳である。新撰組沖田総司も同じ病気である。明治以降では、樋口一葉石川啄木など文学史上著名な人物が、肺結核で死亡している。若年者が夭逝する病気として、肺結核はしばしば描かれる。
 一方、同じ文学者でも、文豪夏目漱石の場合は、胃潰瘍からの吐血が死因である。東大病院で遺体が解剖されており、確定診断がついている。


 ついでながら、第14代将軍徳川家茂脚気で亡くなったとナレーションで述べられていたが、これも疾病史上有名な事実である。
 脚気ビタミンB1不足で生じる。脚気が原因で起こる心不全は、脚気衝心と言われる。明治時代には国民病と言われ、致死率が高い病気だった。江戸時代は、精製された白米を食べる富裕層に多い病気として、江戸病いと呼ばれていた。徳川家茂は甘いもの好きで、自歯のほとんどがう歯だった。龍馬伝の中でも餅を頬張る姿が描かれている。わずか20歳で亡くなった。
 豊臣秀吉の死因も脚気であるという説がある。徳川家茂と同様、権力者として贅沢な暮らしをしたことが、寿命を縮めてしまったことになる。ライバルの徳川家康が麦飯を食べて長生きをしたこととは対象的である。栄養学の知識のない時代だったが、家康は粗食と長命との関係を経験的な知恵として持っていたのだろうと推察する。



* 2010年11月30日追記
 11月30日に「龍馬伝」が終了した後、本エントリーへのアクセスが急に増えています。ご参考までに、ネタ元を紹介します。

岩崎弥太郎と三菱四代 (幻冬舎新書)

岩崎弥太郎と三菱四代 (幻冬舎新書)


 明治維新という乱世に生きた岩崎弥太郎の破天荒の生涯が描かれています。「龍馬伝」の後日談として読むには最適です。「龍馬伝」では冴えない役割だった弟弥之助が実は大物で、弥太郎の死後、海運業だけでなく、炭鉱業を初めとした多角的経営を成功させ、現在の三菱財閥を確立させていった過程もよくわかります。


 本書に記載されている岩崎弥太郎の病状をまとめると、次のようになります。

  • 明治14年に、胃を病み、一時静養をした。
  • 明治17年6月より急速に食欲が減退した。
  • 同年8月に、東大教授佐藤進医師の往診を受け、慢性胃カタルと診断された。
  • 同年9月中旬、激しいめまいに襲われ、20日に昏倒し、長期療養することになった。その後、病状は悪化の一途をたどり、東大医学部のヘイデン教授などの治療を受けたが病状は回復の兆しを見せなかった。
  • 同年11月11日、胃癌による胃管下口の狭窄がひどく、余命3、4ヶ月であることの告知が医師より家族になされた。
  • 明治18年2月、胃液とともに多量の吐瀉物を吐き、激痛に悶絶した。モルヒネがたびたび注射された。
  • 同年2月7日午後6時30分、息を引き取った。


 胃癌末期の典型的な経過です。触診で腫瘤が触れ、初めて胃癌と診断されたようです。通過障害も顕著です。苦悶症状を浮かべた香川照之の迫真の演技が思い起こされます。



 なお、高杉晋作沖田総司樋口一葉石川啄木夏目漱石徳川家茂に関しては、下記書籍を参考にしました。

日本史有名人の臨終図鑑

日本史有名人の臨終図鑑


 豊臣秀吉脚気死因説に関しては、Amazon CAPTCHA(若林利光著、かりばね書房)の説を基にしています。
 幕末以降は、記録も多数残されており、有名人の死因推定は容易です。しかし、江戸時代以前に関しては、症状の記載しかなく確定的なことはなかなか言えません。豊臣秀吉に関しては、緩徐進行性の経過や理解不可能な言動から、胃癌や認知症が死亡原因ではないかといった説の方が従来から言われています。