大腿骨頚部骨折患者に隠れているiNPHを見逃すな

 先週末、特発性正常圧水頭症iNPH:idiopathic normal-pressure hydrocephalus)に関わる研究会があった。
 日本正常圧水頭症研究会編/医療・GL(04年)/ガイドライン、「ガイドライン作成にあたって」に次のような記載がある。

 わが国は急速に高齢社会となっており,高齢者の医療や介護が重要な社会的テーマとなっている。このような状況下にあって,高齢者で非特異的な痴呆,歩行障害,尿失禁などをきたす病態として正常圧水頭症がある。
 正常圧水頭症は上記3徴を有し,脳室拡大はあるが,髄液圧は正常範囲内で,髄液シャント術によって症状改善が得られる病態としてHakim,Adamsらによって1965年に報告され,治療可能な痴呆として注目された病態である。この正常圧水頭症クモ膜下出血髄膜炎といった原因の明らかな二次性正常圧水頭症と,原因の明らかでない特発性正常圧水頭症とに大別される。特発性正常圧水頭症はパーキンソニズムや血管性痴呆との鑑別が容易でなく,また髄液シャント術を行っても,硬膜下水腫・血腫などの合併症によりかえって症状の悪化をきたす例があることから,二次性正常圧水頭症が積極的に治療されるのと異なり,あまり注目されていなかったのが実情である。しかし,高齢者の中には髄液シャント術によって歩行障害や痴呆,尿失禁の改善を得る例も確実に存在する。したがって,臨床症状や各種補助診断法を用いて,髄液シャント術の有効な例を選別することが重要であり,またシャント術の効果をいかにして長期間持続させうるかが重要な課題と考えられる。


 本ガイドラインが出た後、発生率に関する研究がいくつか行われた。CiNii 論文 -  Prevalence of Idiopathic Normal-Pressure Hydrocephalus in the Elderly Population of a Japanese Rural Communityでは、以下のように記述されている。

  • 宮城県田尻町に居住する65以上の高齢者から無作為に抽出した170名を対象に、調査を行った。
  • MRIを行い、正常圧水頭症に特徴的な所見(脳室拡大、高位円蓋部・正中部のクモ膜下腔の狭小化)を調べたところ、5/170(2.9%)に所見があった。認知機能検査として、MMSEとCDRを行ったが、5例全てに低下を認めた。うち1例に歩行障害を、別の1例に尿失禁があった。


 他の報告もあわせて考えると、iNPHの頻度は想像以上に高く、治療が必要な例は多いとのことだった。しかし、診療現場では、特発性正常圧水頭症の認知度は低く、iNPHを疑って精密検査が行われるまで、神経内科脳神経外科を数ヶ所受診している患者も少なくない。
 MRI・CTの特徴的な所見は、(旧版)特発性正常圧水頭症 診療ガイドライン | Mindsガイドラインライブラリに詳しく記載されている。問題は、MRI冠状断では明らかな高位円蓋部クモ膜下腔の狭小化も、頭部CT水平断では同定しにくいことである。足を開き、すり足で歩くという特徴も、脳血管性認知症びまん性レビー小体病などのパーキンソン症候群との鑑別が難しい。また、正常圧水頭症では、前頭葉機能低下を生じやすく、Frontal assessment battery(FAB)やTrail making test(TMT)が検査として推奨されている。


 提示された患者の歩容をみて、認知症を伴う大腿骨頚部骨折患者の歩き方に似かよっていることに気づいた。懇親会で情報交換をした時、特発性正常圧水頭症の方は転倒の仕方に特徴があり、大腿骨頚部骨折を起こしやすいのではないかという話になった。熱心に正常圧水頭症の治療を行っている医師が、整形外科医の集まりで宣伝したところ、急に紹介が増えたという話もされた。
 当院では、認知機能低下のある大腿骨頚部骨折患者に関しては、頭部CTとMMSEを行うようにしている。本日、病棟に入院中の大腿骨頚部骨折患者の頭部CTをざっと見たときに、脳室やシルビウス裂の拡大に比し、高位円蓋部の脳溝が狭い症例を見つけた。緩徐に歩行障害、認知機能が低下し、尿失禁も生じている例だった。残念ながら、脳卒中患者とは異なり、FABやTMTまでは行っていない。
 (旧版)特発性正常圧水頭症 診療ガイドライン | Mindsガイドラインライブラリを見ると、確定診断として、CSFタップテスト(髄液排除試験)が重要であることが示されている。臨床所見や画像診断だけでは、シャント術を行うべきかどうか結論は出せない。熱心に正常圧水頭症の治療をしている神経内科医や脳神経外科医より、疑わしければ精査目的で紹介をして欲しいとの熱い訴えがあった。
 大腿骨頚部骨折術後のリハビリテーション目的で入院している患者の中に、どの程度特発性正常圧水頭症患者が含まれているのか、意識的に評価を行ってみようとという思いになった。システムさえ作れば、スクリーニングが可能である。学問的に境界領域にある事例に対し複眼的な視点で捉えることは、総合的な診療を心がけている立場の者として、新鮮で興味ある課題だといつも感じている。