元興寺の数奇な歴史

奈良旅行2日目の最後に、元興寺を訪ねた。



 観光案内図でいうと、興福寺の南方に赤い字で記載されている場所にある。猿沢池から歩いて数分の距離にある。ちなみに、赤字で記載されているのが世界遺産である。本地図には、興福寺東大寺春日大社、そして、元興寺が記されている。観光地としては、絶好のロケーションにある。



 東門である。東大寺西南院の門が室町時代に移築された。




 本堂である。僧坊の一部を改変したため、中央に柱があるという珍しい形をしている。





 禅室である。本堂、五重小塔(収蔵庫内に安置)とともに、国宝になっている。


 元興寺は、数奇な歴史をたどった寺院である。

  • 6世紀末、蘇我馬子が飛鳥の地に法興寺を建立。
  • 710年、平城遷都に伴い、移転し、元興寺となる。現在の奈良町付近に広大な伽藍を築く。なお、飛鳥の地に残った法興寺も廃止されず、後の飛鳥寺となる。
  • 平安時代後半より、衰退。堂塔が分離していく。智光曼荼羅が信仰を集めるようになり、曼荼羅を祀る堂が極楽坊として独立するようになる。
  • 室町初期に、極楽坊は西大寺の末寺となり、真言律宗の寺院となる。
  • 1451年、土一揆の影響で、元興寺は金堂など主要伽藍の殆どを失い、智光曼荼羅を祀る「元興寺極楽坊」、五重塔を祀る「元興寺観音堂」、「元興寺小塔院」の三寺院に分かれた。なお、五重塔は江戸時代末期に消失し、塔跡になっている。小塔院も現在は失われている。
  • 明治以降、無住の寺となり、極楽坊は「お化け寺」と呼ばれるほど荒廃した。明治時代には小学校として利用されていた時期もある。
  • 1943年、辻村泰圓が新たに住職となった後、徐々に整備が進む。1961年には、元興寺文化財研究所が創設され、1965年に国の史跡に認定される。1998年、ユネスコ世界文化遺産となる。


 最近、次のような記事が配信された。

 禅室は鎌倉時代に再建された。奈良時代以前の古材を多く再利用しており、柱の上部をつなぐ水平材「頭貫(かしらぬき)」が586年ごろに伐採された国内最古の部材であることが、光谷拓実・総合地球環境学研究所客員教授(年輪年代学)の調査で分かった。


 光谷教授はデジタルカメラで年輪部分を撮影し、コンピューター解析で伐採年代を割り出した。「最古の部材が現役で禅室を支え、頑張っているのは感慨深い」と話している。また、同寺の辻村泰善住職も「よくぞ残っていたと驚いた。私たちが後世にきちんと伝えていかなければならない」と語った。

http://mainichi.jp/area/nara/news/20100820ddlk29040408000c.html


 いつ朽ち果てても分からなかったような歴史をたどった元興寺世界遺産となった。さらに、調査の結果、国内最古の建材を用いた建物であることが明らかになった。権門の保護を受け、何度消失しても、そのたびに再建されてきたお隣の興福寺と比べると、好対照であり、運命のいたずらともいえる出来事の積み重ねに感慨を覚える。