天平の面影を残す新薬師寺

 春日大社をめぐっている時から、持病の腰痛が悪化していた。かがめないため、ほどけかけた靴ひもが結べない。炎天下で脱水症状も起こしかけていた。中の禰宜道を通っている時、ここで動けなくなったらみっともないなと思いながら歩いていた。幸いにも何事もなく、国道にぶちあたった。道を渡り、坂を少し登ったところに、店を開け、打ち水をし始めていた喫茶があった。干天の慈雨とはこのことと思いながら、中に入り、クーラーの効いた店内で愛すコーヒを飲みながら、しばし休息をとった。
 店を出てまもなく、次の目的地、新薬師寺があった。


 新薬師寺は、光明皇后が夫聖武天皇の病気平癒を願って747年に建立された。七堂伽藍をならべた大寺院だったが、33年後に落雷とともに多くの建物を消失した。唯一残った現本堂を中心に、鎌倉時代に現在の形に整えられた。
 南門を通り、境内に向かう。





 正面に、天平の面影を残す本堂がある。建立当初は食堂だったと想定されている。興福寺東大寺と比べると、本当に小さな寺院である。奈良公園から近いという絶好のロケーションにありながら、駆け足で通り過ぎる観光コースからははずれている。静かな清楚なたたずまいに好感を感じる。
 本堂の中に、本尊薬師如来を囲むように十二神将像が配置されている。十二神将は、日本最古のものである。中でも、伐折羅(バザラ)大将は、500切手の絵柄にもなっており、人気が高い。かつては、鮮やかな色彩で彩られていたことが明らかになっている。*1
 薬師如来十二神将、そして、本堂が国宝に指定されている。近年、薬師如来の胎内より発見された法華経八巻も貴重な資料としてただちに国宝となっている。鎌倉時代に建築された南門や東門など重要文化財も多い。



 本堂の裏手にある、車椅子用昇降機である。こういうのをみると、思わず写真を撮ってしまう。なお、東門のところにも同種の機械があり、身体障碍者の参拝の便を図っている。



 本堂前にある石仏である。



 観音堂である。



 新薬師寺の参拝を終え、奈良町方面に向かっていた時、新薬師寺金堂跡があった。平城京史を探る上で大発見と言われている。*2
 もう少しゆっくりと付近の観光を楽しみたかったが、飛行機の時間が迫っていたため、早足で最後の目的地に向かった。