東大寺へ

 奈良観光2日目。
 早起きし、午前9時少し前に、東大寺へ向かった。




 南大門前で鹿せんべいを買ったとたん、早朝で人影もまばらだったこともあり、物欲しげそうにしていた鹿が大挙して押し寄せてくる。見事な角を持っている牡鹿が先頭にたって顔をすりよせてきた。長い舌で好物のせんべいを持っている私の手をなめてくる。身の危険を感じ、投げ出すようにせんべいを与え、さっさと境内に向かうことにした。




 金剛力士像は数あれど、やはり、東大寺の仁王像がもっとも躍動感にあふれている。





 大仏殿をめぐる回廊の左手にある入り口から中に入る。よく見ると、拝観入り口の横に車椅子用のスロープが設置されている。




 大仏殿のスケールの大きさには圧倒される。源平の争乱時と、戦国時代に2回焼け落ちている。現在の建物は、江戸時代の再建だが、横幅が奈良時代のものの3分の2に圧縮されている。
 3度目の建築の際、公慶上人が費用を調達するために勧進帳をもって各地をめぐった。幕府の要人に面会を求めた時に尽力したのが、徳川綱吉の生母桂昌院であり、この後、大仏殿再建は幕府の直轄事業のようになった。桂昌院は、息子の綱吉に生類憐れみの令を出させたことで知られ、歴史上はあまり評判が良くない。一方、仏教界の捉え方は異なる。桂昌院は、数々の寺院の復興事業に力を尽くしている。昨日訪れた室生寺再興にも関与しており、そのことを感謝した室生寺が自らを女人高野と称したと伝えられている。




 盧舎那大仏である。大仏殿入り口には急な階段があったが、車椅子の参拝者もいた。正面からではなく、回廊の方からアクセスできるような工夫をしているのではないかと推測した。



 戒壇堂である。大仏殿の西方、やや離れたところにある小さなお堂である。塑造四天王立像が祭られている。朝早いこともあり、閑散としている。見学者は私1人である。のんびりと間近から躍動感あふれる仏像を堪能した。



 正倉院である。開放はされておらず、いつも、門の前で写真を撮るだけに終わっている。かの有名な校倉造りをいつかこの目で確かめたいものだと思っている。



 鐘楼である。吊るされてる梵鐘は奈良時代のものである。両者とも国宝である。東大寺は右を向いても、左を見ても、国宝や重要文化財ばかりである。







 二月堂と法華堂(三月堂)である。二月堂からは、奈良市内が一望できる。法華堂は、現存する東大寺最古の建造物である。残念ながら、内部は修復中であり、安置されている仏像の一部しか拝観できない状態となっていた。一部は、東大寺の駐車場の北隣に建設中の東大寺総合文化センター内にある東大寺ミュージアムに展示される予定とのことである。興福寺国宝館のようなものを、東大寺も造ろうとしているようである。



 一通り回るだけでも2時間近くかかった。流石に東大寺は広い。
 若草山の麓を抜け、次の目的地、春日大社に向かうことにした。