長屋王の祟り

 平城京跡から無料送迎バスでJR奈良駅に向かった。404|共通エラーを通る時、長屋王の祟りという言葉が耳に入った。調べてみると、概ね次のような内容である。


1 長屋王の変
 長屋王は、天武天皇の孫であり、聖武天皇の父親である文武天皇の従兄弟だった。藤原不比等の死後、実力者として政界を主導した。また、聖武天皇皇位継承者が生まれなかった場合、長屋王の息子が跡を継ぐ可能性もあった。
 当時、皇族しか皇后になれないという大宝律令の規定があった。しかし、藤原4兄弟は、不比等の娘で聖武天皇に嫁いだ光明子立后を押し進めようとし、両者の対立が深まっていた。
 729年、聖武天皇を呪ったという疑いで、長屋王は屋敷を包囲された。妻子を殺した後、王は服毒自殺した(長屋王の変)。藤原氏の陰謀だと都人に疑惑の目で見られていた。


2 藤原4兄弟急死(祟り その1)
 長屋王の死後、藤原4兄弟は政治の実権を握った。光明子を皇后とし、我が世の春を謳歌した。しかし、737年、天然痘の流行により、瞬く間に4人とも没した。長屋王を自殺に追い込んだ祟りだと噂された。また、聖武天皇は、藤原広嗣の乱(740年)に衝撃を受け、745年までの間、恭仁京、難波恭、紫香楽宮と次から次へ遷都を繰り返したが、長屋王の祟りを恐れたことも原因と考えられている。


3 そごうの倒産(祟り その2)
 イトーヨーカドー奈良店は、以前はそごう奈良店であった。1986年に出店が決まった後、発掘調査が進められ、長屋王邸の跡であることがわかった。3万5千点もの木簡が発見され、古代史研究にとって貴重な遺跡であることが明らかになり、保存を求める声が高まった。しかし、反対を押し切ってそごうは1989年10月に開店をした。
 約10年後、そごうは破綻し、民事再生法を申請した。そごう奈良店は存続店になることができず、2000年12月に閉店をした。奈良市民は、長屋王の祟りだと考えた。店舗の引き受け手はなかなか見つからず、イトーヨーカドー奈良店が開店したのは、3年後の2003年7月10日である。


 日本史上最強の祟りをもたらした人物は、菅原道真である。各地の天満宮は道真の怒りを抑えるために創建された。今では、学問の神様として、受験生に引っ張りだこになっている。
 長屋王とは、怨霊のさきがけともいえる。現代まで祟りが続いていることを考えると、実力的には道真を上回るかもしれない。
 冷静に考えると、最初の祟りは、過去何回も繰り返された疫病流行の一つであり、そごうの例は、バブルの時期に計画された過大な設備投資が破綻の原因である。しかし、南都の民が長屋王の祟りとか呪いとか言い出せば、真実味を帯びてくる。話の種としては、なかなか面白い。