障害と障碍の違い

 4月23日、文化審議会国語分科会第42回漢字小委員会が開かれ、改定常用漢字表案が示された。その内容は、http://www.bunka.go.jp/kokugo_nihongo/bunkasingi/kanji_41/gijishidai.htmlに提案されたものを踏襲している。
 資料4、要望の多かった「玻・碍・鷹」の扱いについてで取り上げられた3文字はいずれも最終案からはずされている。「碍」の採用については、障碍者団体から強い要望が出されていた。しかし、漢字小委員会は、障害と障碍には意味の大きな違いはないと判断し、門前払いをした格好となった。


 仕事柄、障害や障害者という言葉を繁用しており、どのように標記するのが適当かいつも悩んでいた。本日、偶然、「碍」と「害」の字の由来 - tokujirouの日記というエントリーを見つけた。

「障碍」の字の由来について、故丸山一郎先生(元埼玉県立大学教授)は5年前の小論文に「碍の本字は礙であり、大きな岩を前に人が思案し悩んでいる様を示す。つまり自分の意思が通じない困った状態。意思が通らない、妨げられているという同じ意味の障と碍を重ねた障碍は人が困難に直面していることを示す言葉であった」と書いておられます。この「障碍」こそが「チャレンジド」の的確な邦訳であると主張する人もいますが同感です。


 語源までさかのぼった明快な解釈がされており、目から鱗が落ちる思いになった。障害と障碍の意味に大差がないという漢字小委員会の結論は正しくない。まして、使用頻度が少ないからはずすという理由は適切ではない。高齢社会の最後の上り坂を迎え、障碍を抱えた人は急速に増加する。医師さえ面倒くさがって使用しない「鬱」(うつ)を採用するよりは、はるかに有意義である。
 残念ながら、「碍」採用問題は、文化庁の手を離れた。国語学者にとって、障碍者問題を検討することは荷の重い作業だったようだ。幸い、秋口の内閣告示まではまだ間がある。障がい者制度改革推進本部、障がい者制度改革推進会議及び差別禁止部会について - 内閣府などで真剣に議論を積み重ねる中でこの問題が取り上げられれば、逆転採用される可能性はまだある。