離島病院奮戦記

 朝日新聞に、新年企画:島に生きるが連載された。
 宮城県には、人が住む離島が9つある。http://mytown.asahi.com/miyagi/news.php?k_id=04000561001010003をみると、いずれの島も本土からの距離はさほど遠くない。しかし、ほとんどの島は住民減少が顕著であり、消滅の危機を迎えている。


 牡鹿半島の西側に網地島という島がある。ここに、栃木県の民間医療法人、陽気会 とちの木病院自治体から委任されて運営している網小医院がある。1999年9月の開院以来所長をつとめる安田敏明先生が「離島病院奮戦記」という本を書いた。


離島病院奮戦記

離島病院奮戦記


 網地島から牡鹿半島の鮎川まで定期船で20分程度であり、指呼の間にある。しかし、いったん海が荒れると絶海の孤島と同じ状況になる。医療問題はさらに深刻である。足腰が衰えた高齢者にとって、医療機関が集中する石巻市中心部まで通院することは難しい。介護サービスもほとんどない。ヘルパーは週に1回、船に乗って訪れるのがせいぜいである。医療や介護の必要性が大きくなると、高齢者は島に住めなくなり、本土に住む家族のところに引き取られていく。
 この島に廃校になった小学校を改装した網小医院ができたことにより、住み慣れた島で生活し続けたいと島民の願いがかなえられるようになった。複合的な疾患を総合的に診る医師がいる。バックアップする医師集団がいて、島でできる範囲の医療の水準を高める。画像伝送システムがあり、いつでも相談ができる。CTや内視鏡があり、手術もでき、入院施設がある重装備の有床診療所である。ディサービスを作り、高齢者福祉アパートを併設する。歯科診療所がある。人口わずか500人あまりの島にとって、奇跡ともいえる診療を行っている。


 いったん大学に入り、商社に勤めたが、一念発起し医学部に入り直した。研修医だった頃の安田敏明先生と面識がある。海外医療協力でネパールに家族と一緒に3年間赴き、その後、とちの木病院を経て、網小医院開設にたずさわった。安田先生の朴訥な語り口の中に、初心を貫き続ける芯の太さ、意思の強さがうかがえる。


 http://mytown.asahi.com/miyagi/news.php?k_id=04000561001080001に、網小医院と安田敏明先生の近況が描かれている。医師が勤務するのは、週のうち計5日となっている。様々な事情がある中、入院ベッドを廃止したのかもしれない。医療費抑制政策の中、有床診療所の経営は厳しくなっている。

 安田さんは今の診療態勢は苦肉の策で「細々と手伝っていきたい」と話す。大切なことは、医院をしっかり続けていくこと。それが最終的には島の人たちの健康を守り、島で安心して最期を迎えることにつながると思うからだ。常駐をやめてコストが削減できたことも、継続していくうえでは重要だと考える。

 安田敏明先生の今後のご活躍を心からお祈りする。


【参考】