終末期医療のあり方について(日本学術会議)

 終末期医療のあり方について ー亜急性期型の終末期についてー /平成20年(2008年)2月14日 日本学術会議 臨床医学委員会終末期医療分科会をもとに、終末期医療への関わり方について考えた。


 本報告では、終末期医療を、急性型(救急医療等)、亜急性型(がん等)、慢性型(高齢者、植物状態、認知症等)に区分している。各々、特徴的な病態、病勢があり、一律に終末期としてとりまとめることは難しい。
 終末期医療における医療行為の開始・不開始、医療内容の変更、医療行為の変更・中止等に関する事件がいくつも生じている。近年、終末期に関するガイドラインや勧告が複数公にされている。亜急性型の終末期医療に限定して、かつての議論をさらに深めて新しい事態に対応すべく原則的な考え方を呈示するため、次のような報告を日本学術会議臨床医学委員会終末期医療分科会は行った。

・ 亜急性型の終末期にあっては、病状が確実に進み、その先に死があることを患者自身が自覚しており、苦痛解除がしばしば十分でなく、家族も患者と一心同体のごとき苦悩を経験する、といったいくつかの特徴がある。
・ 終末期医療における医療行為の開始・不開始、医療内容の変更、医療行為の変更・中止等は、患者本人の意思表示が明確な場合には、患者の意思に従うべきである。少しでも長く生きたいと希望する患者には、十分に緩和医療を提供しながら残された生を充実して生きられるように適確な援助を行う。緩和医療が十分に提供されていても、延命医療を拒否し、その結果、死期が早まることを容認する患者には、リビング・ウィルも含めその意思に従い、延命医療を中止する。
・ 患者本人の意思が確認できないまま終末期に入り、家族から延命医療の中止を要請されたときには、「患者に最善の医療」という観点から検討し、結論として要請を受け入れる場合と受け入れない場合があってよい。
 患者が何を望むかを基本とした、家族による患者の意思の「推定」を容認し、家族が患者の意思を推定できない場合には、医療チームは家族と十分に話し合った上で、患者にとって最良の治療方針を判断する。当分科会としては延命に全力を尽くすことを基本前提としつつも、関係者の衆知を集めて延命医療の中止を選択する余地を残すこととした。
 実際の手続き上は、家族構成者間に意思の相違はないか、を含めた家族意思の繰り返しての確認がまず必要である。家族構成者間の意思が一致していても、なぜ家族が延命医療の中止を求めるのか、家族意思の内容の確認も求められる。これらの内容次第により、延命医療の続行と中止の両結論が生じ得る。
・ 医療側の判断は複数の職種から公平に構成されるチームによってなされるべきであり、記録の適正な管理、透明性の確保は必須の要件である。判断が困難な場合には、施設内倫理審査委員会等に委ねるべきである。
・ 終末期医療に関する医療従事者の教育・研修の充実、苦痛緩和や精神的ケアに重点を置いた終末期医療の供給体制の整備等がきわめて重要である。
 延命医療の中止の条件を定めることよりも、わが国の亜急性型終末期医療全般の質の向上、格差の是正を強く求めることこそ重要であり、これが迂遠に見えるが本来の終末期医療のあるべき姿と当分科会は考える。


 終末期医療の論点は、医療行為の開始・不開始、医療内容の変更、医療行為の変更・中止等にある。今月、終末期医療に関する2つの事件に関し、異なる司法判断がされた。川崎協同病院事件では、医師が行った気管チューブの抜管行為と筋弛緩剤投与に対し、執行猶予付きだが殺人罪が確定した。それに対し、複数の終末期患者の人工呼吸器をはずした射水市民病院事件では、医師の不起訴が決まった。終末期における医療行為の中止や差し控えに関する判断は、司法介入へのおそれもあり、揺れ動いている。
 終末期医療を、急性型(救急医療等)、亜急性型(がん等)、慢性型(高齢者、植物状態認知症等)に区分する意義は大きい。3類型の中で、各種ガイドラインで同一の方向性がでているのは、亜急性型であるがん終末期だけである。急性型(救急医療等)、慢性型(高齢者、植物状態認知症等)に関しては、関係者間の意見不一致を自覚することから議論を始める必要がある。
 がん終末期の場合には、本人の意思が尊重することが大原則となる。一方、本人の意思確認が不明確の場合には、「患者に最善の医療」という観点から検討される。その場合、主治医だけではなくチームで対応する(一人で決めない)、家族の意思を繰り返し確認する(一度に決めない)、相談した内容を適切に記録に残す、そして、判断が難しい場合には施設内倫理委員会で検討するという一連のプロセスをとることにより、医療判断の適切性が保障される。
 リハビリテーション医療でも、高齢要介護者の終末期に関わる機会がある。原疾患(脳血管障害後遺症等)は安定しているが、誤嚥性肺炎を合併し、栄養管理手段として経管栄養を検討せざるをえない場合に、倫理的問題に直面する。栄養管理を行いながら、摂食嚥下リハビリテーションを行うことにより改善する可能性がある場合、その旨を説明する。一方、多発性脳梗塞で仮性球麻痺を生じており、誤嚥性肺炎を繰り返している場合、長期に経管栄養を続けるべきか悩む。ほとんどの場合、本人の意思表示はえられない。この場合、がん終末期のプロセスを参考にしながら、個別に対応を決めることになる。


 もうひとつ重要な論点がある。医療経済的な側面から、終末期医療を論議してはならないということである。本報告では、日本学術会議第15 期 死と医療特別委員会報告「尊厳死について」(平成6年5 月26 日付)の要約を紹介する中で、次のような記載をしている。

尊厳死を認める根拠として、(1)近親者の物心両面にわたる過大な負担の軽減、(2)国民全体の医療経済上の効率性、(3)患者本人の意思の尊重などが挙げられている。(1)は近親者の負担の軽減を直接の目的として延命医療の中止を肯定することであり、倫理的のみならず法的にも妥当ではない。(2)については無益かつ高額な延命医療が実施されている実態はあるが、経済効率の観点から人の生死を左右せしめることは、倫理的、宗教的に許されない。(3)の患者本人の意思の尊重は、末期状態においても、医療の原点であるインフォームド・コンセントの原理に立脚して、患者の自己決定ないし治療拒否の意思を尊重することが尊厳死問題の本質であると当委員会は考えた。


 後期高齢者終末期相談支援料は、延命処置の中止を強要されかねないと反発をくらった。そもそも、終末期に限らず、医療が必要な状態で生存期間が延びると医療費が余計かかることになる。医療費抑制政策にからめて終末期医療を語ることは、医療費を抑えたいから要介護状態の者は早死にしてもらいたいと露骨に言っているようなものである。


 医師は、患者や家族と十分相談しながら「最善の医療」を提供するという基本的姿勢を貫くことが求められる。司法は、適切なプロセスで意思決定が行われている限り、終末期医療への介入を避けるべきである。そして、行政は医療費抑制と終末期問題とをリンクさせないと表明する必要がある。


(参考)終末期に関する各種ガイドラインや勧告
# 亜急性型(がん等)を中心に終末期医療全般について

# 主として急性型(救急医療等)について

# 主として慢性型(高齢者、植物状態認知症等)について

*1:2013年12月29日、リンク先名変更。