ベーシック・インカムは実現可能か?

 ベーシックインカムという耳慣れない言葉が、「ベーシック・インカム」を支持します - 評論家・山崎元の「王様の耳はロバの耳!」ベーシックインカムの話 | 堀江貴文オフィシャルブログ「六本木で働いていた元社長のアメブロ」などで取り上げられ、話題となっている。


 文芸春秋日本の論点」PLUS、夢の福祉国家――「ベーシック・インカム」論は成り立ち得るかでは、ベーシック・インカムについて次のように説明している。

  • 考え方の基本は、福祉行政の大転換を促し、堅牢なセーフティネットを構築しようというところ。
    • たとえば、全国民に一律月々5万円、年間60万円を支給する、というようなものだ。3人家族であれば年間180万円が無審査・無条件で機械的に支給される。たとえ無職ないし休職中であっても、最低限の生活もなんとかできる。
    • そのかわり、従来の年金、生活保護、失業保険などの制度は全廃する。
    • ベーシック・インカムを導入するとなると、基本的にすべての国民に背番号をつけて一元的に捕捉する必要がある。
    • 行政は大幅に簡素化されるため、関連省庁や機関・人員も大幅に縮小・削減できる。雇用を生み出すだけが目的の、ムダな公共事業も不要になる。いうまでもないが、これらの財源がベーシック・インカムの原資に転換する。
  • 「労働」に対する価値観を変えることになるかもしれない。
    • 「働かざる者、食うべからず」という考え方が、ある種の倫理ないしは道徳観として、日本社会に定着していた。
    • 現実問題として仕事は減り、働きたくても働けない人が増えている。むしろ、「働かなくても、とりあえずは食える」という安心感を与えたほうが、本人の精神衛生のうえでも、社会の安定のためにも、消費を喚起するという意味でも有効ではないか。
    • より豊かな暮らしをしたければ、意欲をもって働かざるを得ないから、ベーシック・インカムが労働のインセンティブを削ぐことにはならない。
    • 労働環境が劣悪なら、躊躇なく辞めることもできるようになる。
    • NPOやボランティア、芸術活動といった、どちらかというと高収入に結びつきにくい道にも邁進しやすくなる。


 ばら色の未来を描いた上で、最後に、実現可能性について次のように論者は言及している。

 問題は原資である。一人あたり年間60万円、人口1億2000万人とすると、国全体では年間72兆円が必要ということになる。これは一般会計に匹敵する額だ。しかし前述したとおり、従来の制度の廃止と余剰人員の大幅削減、それに高所得者に配ったベーシック・インカムを回収するという意味での所得税ないし消費税の増税を組み合わせれば、けっして不可能な数字ではない。あくまでも目安だが、たとえば06年度の「公的年金各制度の財政収支状況」によると、制度全体(国民年金、厚生年金、国家公務員共済組合等を含む)の収入総額だけでも46兆円(簿価ベース)に達している。


 ただし現時点では、これはあくまでも「机上の空論」にすぎない。なぜなら政権がどう転んでも、世界に先駆けて導入を検討するほどのフレキシビリティが日本の政治家にあるとは考えにくいからだ。もし可能性があるとすれば、他国が導入して成果を上げ、国内で導入圧力が高まり、既存の福祉政策が壊滅的に行き詰まり、さらに天才的な政治家と英雄的な官僚が登場する、という条件が整ったときということになろうか。すなわち、奇跡に近い。


(島田栄昭 しまだ・よしあき=『日本の論点』スタッフライター)


 ベーシック・インカムの考え方、特に「無条件で給付する」という思想には魅力を感じるが、実現性は限りなくゼロに近い。
 文芸春秋日本の論点」PLUSでは、1人あたり月5万円という数字を出してきたが、現在の生活保護費と比較しても低額であり、住宅費が無料であっても生活は困難である。また、病人や障害者にとっては、医療費や介護費の負担も馬鹿にできない。教育費の自己負担も問題となっている。最低限、医療費・介護費・教育費の自己負担無料化が必要となる。到底、年間72兆円の枠には収まらない。政治家や官僚の力量以外の問題から考えても、ベーシック・インカムの実現は、日本では奇跡に近い。そもそも、ベーシック・インカムとは経済的にも精神的にも豊かな社会でなければ許容もできない。一部の福祉先進国と異なり、日本はその段階にはほど遠い。
 日本では、最後のセーフティネット生活保護制度を受ける条件が極めて厳しい。このため、派遣労働者が仕事と住居を同時に失った場合でも、「労働能力」があるということで水際で追い返される。仕事を失うことが生活破綻につながり、ホームレスを大量に産み出す。そうした現実をみていると、現在の日本では、ベーシック・インカムのような抜本的改革よりも、実現可能でかつ緊急性のある部分改革を積み重ねていくしかないのではないかと思う。