「確認」「調査」「取材(聞く)」のない記事やコメントは信頼されることはない

 http://www.nikkeibp.co.jp/article/column/20081126/115307/より、気になった一節をメモする。

毎日新聞は「裏もとらず」活字にしたのか?


 もともと新聞やテレビの報道を全面的に信じるタイプではない。にもかかわらず、元厚生事務次官殺傷事件のネットにかかわる報道には「おい!大丈夫か」になってしまう。
 その代表が毎日新聞の「誤報」である。
 容疑者が出頭したこともあって、いまや忘れさられようとしているが、これこそ「おい!大丈夫か」の典型だろう。毎日新聞が11月19日朝刊で「ネットに犯行示唆?(27面 14版 東京)」の四段抜き見出しで「事件の約6時間前に、インターネットの『フリー百科事典・ウィキペディア』に犯行を示唆する書き込みが会ったことが分かった(同)」と報じた件ある。
 ネットでも話題になったので、ご存じの方も多いだろう。要は協定世界時UTC)を日本標準時JST)と間違え、「約6時間前」と記事にしてしまったのである(参照 「ウィキペディアで犯行示唆」 恥ずかしい大誤報毎日新聞が謝罪 JCASTニュース11月19日)。かなり批判されたようなので「打落水狗」はしたくないが、いくら「?マーク付」とはいえ「恥ずかしい大誤報」と指弾されても当然だろう。

 しかし、間違いが起きるのと、そのまま記事にして紙面に載せるのは大違いだ。いくら記者が「これは特ダネ」と思っても、チェック機能が働くのが新聞だろう。編集長や校閲担当者が「裏はとったか?」とする筈である。
 見逃したのか、それとも確認もしなかったのか、「裏もとらず」活字になってしまったしか思えない。
 ところが、「おわび:『ネットに犯行示唆?』の見出しと記事=11月19日付朝刊(毎日jp 11月20日)」では「本紙記者はその事実を把握しないまま記事にしました(同)」とあるだけで、「裏をとらなかった」ことには一切の説明もない。しかも、受けとり方によっては「書き込みをしたとする人物(同)」の責任転嫁しているようにも読める内容である(リンク先参照)。
 これでは「大丈夫か」を通り越して、「社会の木鐸」として機能するのか心配になってしまう。

知らないことが問題ではなく「確認・調査・取材(聞く)」は?


 はっきりいって「知らない」ことが問題ではない。
 協定世界時UTC)と日本標準時JST)について、記事を書く記者が知らなかったとしても、ニュースショーの登場者がネットについて知識がなくても(ちょっと勉強不足のような気もしますが)、それ自体は「なんでも完璧に知っている人間はいない」だろう。
 しかし、記事を書き新聞に掲載したり、テレビで発言するには「知らない」では済まされない。記事の確認については繰りかえさないが、ニュースショーの登場者が、事前にネットを覗いてさえすれば、「ネットでは」と断定する一面性に気づいたかもしれない。
 その「知らない」ことを知るための、「確認」や「調査」そして「聞く」ことが忘れられているようだから「おい!大丈夫か」と思ってしまう。

 制作現場では「データのない提案は空想と同じ」とされているが、報道でも「『確認』『調査』『取材(聞く)』のない記事やコメントは」信頼されることはない。


 ブログは、個人発のミニメディアである。身辺雑記を書くのならともかく、医療など社会的問題を話題にする時には根拠を明らかにするように私は努めている。マスコミ報道をそのまま引用するのではなく、一次資料にできる限り近づき、データを出して数字に語らせるという手法をとる。記載した内容を信頼してもらおうとするならば、裏をとるのが当たり前である。
 マスメディアの信頼性が薄らいでいる。「確認」「調査」「取材(聞く)」のない記事やコメントが世の中にあふれかえっている。その最たるものがワイドショー的な要素を強めているTVである。新聞はTVと違い、取材をした努力が認められる記事が散見される。ただし、官庁や警察などの発表をそのまま垂れ流す記事もごまんとある。今回の事件のような明らかな誤報はともかく、書いている記者自身が理解していないのではと思われる記事も少なくない。専門的知識を持ったブロガーたちが情報発信する時代を迎えている。質が高ければ、インターネットの情報の方がマスメディアよりも信頼される時代が来ている。
 ただし、ネットとマスメディアは敵対するものではなく、相補的関係にあると考えるべきである。この間、ブログでの情報発信が契機となり、新聞やTVの取材を受けることが続いている。回復期リハビリテーション病棟への成果主義導入などの一般受けしないような話題を取り上げてもらって感謝をしている。マスメディアの影響は未だに大きい。世論に訴えたいと思うのであれば、ネットで発言するだけでなく、マスコミの力を借りたいと思うのが真情である。
 毎日新聞誤報事件は、マスメディアとしての機能劣化が根底にある。自浄作用は果たして働くのだろうか、他人事ながら心配になる。