大野病院産科医逮捕事件で無罪判決

 本日、大野病院産科医逮捕事件で無罪判決が出た。日本産婦人科医学会、福島県立大野病院事件についての福島地方裁判所の判決に対する声明より。

福島県大野病院事件についての福島地方裁判所の判決に対する声明


 日本産科婦人科学会は亡くなられた患者様のご遺族と悲しみを共有し、患者様には心からの哀悼の念を捧げます。
 この悲しい事件は、癒着胎盤という重篤な産科疾患において生じたものですが、当時、被告人が産婦人科専門医として行った医療の水準は高く、全く医療過誤と言うべきものではありません。癒着胎盤は極めて稀な疾患であり、診断も難しく、最善の治療が如何なるものであるかについての学術的議論は現在も学会で続けられております。
 このたびの判決は、この様な重篤な疾患を扱う実地医療の困難さとそのリスクに理解を示した妥当な判決であり、これにより産科をはじめ多くの領域における昨今の萎縮医療の進行に歯止めのかかることが期待されるところであります。
 日本産科婦人科学会は、今後も医学と医療の進歩のための研究を進めると共に、関係諸方面の協力も得て診療体制の更なる整備を行い、本件のように重篤な産科疾患においても、母児ともに救命できる医療の確立を目指して最大限の努力を続けてゆくことを、ここに表明致します。
 本会は、今回の裁判による医療現場の混乱を一日も早く収束するよう、検察庁が本件判決に控訴しないことを強く要請するものであります。


平成20年8月20日


社団法人 日本産科婦人科学会
理事長 吉村 泰典


 朝日新聞に判決要旨が出ている。福島県立大野病院事件の福島地裁判決理由要旨より。

福島県大野病院事件福島地裁判決理由要旨
2008年8月20日14時16分


 福島県立大野病院で帝王切開手術を受けた女性患者が死亡した事件で、福島地裁が言い渡した無罪判決の理由の要旨は次の通り。


 【業務上過失致死】


 ●死因と行為との因果関係など


 鑑定などによると、患者の死因は失血死で、被告の胎盤剥離(はくり)行為と死亡の間には因果関係が認められる。癒着胎盤を無理に剥(は)がすことが、大量出血を引き起こし、母胎死亡の原因となり得ることは、被告が所持していたものを含めた医学書に記載されており、剥離を継続すれば患者の生命に危機が及ぶおそれがあったことを予見する可能性はあった。胎盤剥離を中止して子宮摘出手術などに移行した場合に予想される出血量は、胎盤剥離を継続した場合と比較すれば相当少ないということは可能だから、結果回避可能性があったと理解するのが相当だ。


 ●医学的準則と胎盤剥離中止義務について


 本件では、癒着胎盤の剥離を中止し、子宮摘出手術などに移行した具体的な臨床症例は検察官、被告側のいずれからも提示されず、法廷で証言した各医師も言及していない。


 証言した医師のうち、C医師のみが検察官の主張と同趣旨の見解を述べている。だが、同医師は腫瘍(しゅよう)が専門で癒着胎盤の治療経験に乏しいこと、鑑定や証言は自分の直接の臨床経験に基づくものではなく、主として医学書などの文献に頼ったものであることからすれば、鑑定結果と証言内容を癒着胎盤に関する標準的な医療措置と理解することは相当でない。


 他方、D医師、E医師の産科の臨床経験の豊富さ、専門知識の確かさは、その経歴のみならず、証言内容からもくみとることができ、少なくとも癒着胎盤に関する標準的な医療措置に関する証言は医療現場の実際をそのまま表現していると認められる。


 そうすると、本件ではD、E両医師の証言などから「剥離を開始した後は、出血をしていても胎盤剥離を完了させ、子宮の収縮を期待するとともに止血操作を行い、それでもコントロールできない大量出血をする場合には子宮を摘出する」ということが、臨床上の標準的な医療措置と理解するのが相当だ。

 検察官は癒着胎盤と認識した以上、直ちに胎盤剥離を中止して子宮摘出手術などに移行することが医学的準則であり、被告には剥離を中止する義務があったと主張する。これは医学書の一部の見解に依拠したと評価することができるが、採用できない。


 医師に医療措置上の行為義務を負わせ、その義務に反した者には刑罰を科する基準となり得る医学的準則は、臨床に携わる医師がその場面に直面した場合、ほとんどの者がその基準に従った医療措置を講じているといえる程度の一般性、通有性がなければならない。なぜなら、このように理解しなければ、医療措置と一部の医学書に記載されている内容に齟齬(そご)があるような場合に、医師は容易、迅速に治療法の選択ができなくなり、医療現場に混乱をもたらすことになり、刑罰が科される基準が不明確となるからだ。


 この点について、検察官は一部の医学書やC医師の鑑定に依拠した準則を主張しているが、これが医師らに広く認識され、その準則に則した臨床例が多く存在するといった点に関する立証はされていない。


 また、医療行為が患者の生命や身体に対する危険性があることは自明だし、そもそも医療行為の結果を正確に予測することは困難だ。医療行為を中止する義務があるとするためには、検察官が、当該行為が危険があるということだけでなく、当該行為を中止しない場合の危険性を具体的に明らかにしたうえで、より適切な方法が他にあることを立証しなければならず、このような立証を具体的に行うためには少なくとも相当数の根拠となる臨床症例の提示が必要不可欠だといえる。


 しかし、検察官は主張を根拠づける臨床症例を何ら提示していない。被告が胎盤剥離を中止しなかった場合の具体的な危険性が証明されているとはいえない。


 本件では、検察官が主張するような内容が医学的準則だったと認めることはできないし、具体的な危険性などを根拠に、胎盤剥離を中止すべき義務があったと認めることもできず、被告が従うべき注意義務の証明がない。


 【医師法違反】


 本件患者の死亡という結果は、癒着胎盤という疾病を原因とする、過失なき診療行為をもってしても避けられなかった結果といわざるを得ないから、医師法にいう異状がある場合に該当するということはできない。その余について検討するまでもなく、医師法違反の罪は成立しない。


 医療はそもそも不確実性を内在している。最善の医療行為と判断し実施した場合にも、不幸な転帰をとりうることはありうる。結果が悪かったからといって、その責任を個々の医療従事者に負わせることは適当ではない。日本産婦人科学会をはじめ、各種医療関係団体が大野病院産科医逮捕事件直後から、声明を発表し、問題点を明らかにした。また、医療系ブログはこぞってこの問題をとりあげ、被告の加藤医師への支援を表明した。私自身も、同僚の医師からもらったボールペンを使用し続けることでささやからながら支援の意思表明をしている(参照:ボールペン作戦メインサイト 産科医サポータープロジェクト〜ボールペンで福島大野事件を支援します)。
 本事件は、そもそも刑事事件として扱うべきではなかった。検察・警察が一審判決を謙虚に受け止め、控訴をしないことを強く望む。