すかいらーくで再び過労死

Yahoo!ニュース、すかいらーく32歳「店長」が過労死=残業月200時間−春日部労基署が労災認定より。

すかいらーく32歳「店長」が過労死=残業月200時間−春日部労基署が労災認定
7月17日15時19分配信 時事通信


 外食大手「すかいらーく」(本部東京都武蔵野市)店長として勤務していた昨年10月に脳出血で死亡した埼玉県加須市の前沢隆之さん=当時(32)=に対し、春日部労働基準監督署が労災認定したことが17日、分かった。
 前沢さんは高校生だった1991年10月、すかいらーくでアルバイトを開始。2006年3月に栗橋店の店長に就任した。
 しかし、正規雇用ではなく、1年ごとに契約更新を繰り返す「契約店長」。店の営業時間(午前8時〜翌朝5時)のうち別のアルバイトに仕事を任せられるのは閉店前の2、3時間だけで、自分は午前7時から翌日午前2〜3時に帰宅する生活を1年半強いられた。
 残業は、会社のタイムカードには月約39時間と記録されていたが、遺族側の計算では死亡前3カ月平均で月200時間を超えた。認定は6月13日付。


 すかいらーくは以前にも過労死事故を起こしている。過労死なくそう!龍基金より。

過労死なくそう!龍基金とは−


  中島富雄氏は株式会社すかいらーくに25年間勤務しましたが、2004年8月15日、過労死によって48歳で他界されました。


  夫人の中島晴香氏は故人の遺志を受け継ぎ、NPO法人労働相談センターに相談し、たたかう決意を固め、全国一般東京東部労組に加入、翌05年3月に労災認定を受けたあと、2年間の団体交渉を経て、06年7月26日、会社との間での交渉は解決にいたりました。


  基金は、中島富雄氏を追悼・記念するため会社からの解決金を原資として設立されたものです。


  また本基金は、過労死の絶滅をはじめ労働者、労働組合の地位向上をめざす闘いに貢献する活動を顕彰し、それらのたたかいを助成することを目的としています。


その目的を実現するために次の事業を行います。


(1)過労死闘争・労働者の地位向上貢献賞(略称を中島富雄賞とする)の受賞者を選考し、顕彰する。
(2)裁判など過労死闘争を援助する。
(3)すかいらーくと闘う労働者を応援する。
(4)NPO法人労働相談センターの活動を支援する。
(5)毎年、中島富雄氏を慰霊する記念集会を開催し、株式会社すかいらーくからの過労死対策の報告を受け、中島富雄賞の授与を行う。

中島富雄賞募集!


 「過労死をなくそう!龍基金」では、基金規約第2条の「基金の目的」にある「本基金は故中島富雄氏を慰霊し、過労死の絶滅をはじめ労働者、労働組合の地位向上をめざす闘いに貢献する活動を顕彰し、それらのたたかいを助成することを目的とする」に基づき、第3条の「基金の事業」として、その事業の第一に、「過労死闘争・労働者の地位向上貢献賞(略称を中島富雄賞とする)の受賞者を選考し、顕彰する」を設定しています。


 第1年度の2007年の受賞者は、年度表彰対象選考委員会の厳正な審査の結果、「過労死110番」に決定し、8月4日の記念集会で発表し、表彰しました。


  現在、本年度(2008年)の中島富雄賞の応募を受け付けています。 受賞者には、記念品と賞金が授与されます。
  中島富雄賞の主旨に沿った自薦、推薦による応募をお願いいたします。


 中島富雄氏の過労死問題は、下記書籍内にある「”労使癒着”と闘う 急成長外食産業が「夫を殺した」−すかいらーく」に詳しく記載されている。

 後に記録で明らかになったことではあるが、倒れる前の1ヶ月間だけをみても、毎日の拘束時間は最長で17時間40分、一番短くとも12時間30分である。それでいながら休日は週に一度のみだ。
 「支援店長になってからは、毎月の平均残業時間は約150時間。いま考えてみれば、本当に恐ろしい長時間労働だったと思います。」(晴香)


 今回の前沢隆之氏の場合、契約社員という不安定な立場でありながら、月平均200時間を超える残業を行っていた。中島富雄氏の問題が解決したのは、2006年8月である。前沢隆之氏が亡くなったのは、2007年10月である。すかいらーくは、長時間労働問題について、全く反省していなかった。


 すかいらーく労組も同罪である。「過労死なくそう!龍基金とは−」内に、すかいらーく労組と吉田弘志委員長は中島富雄さんの遺族に謝ってください!という記事がある。

5.すかいらーく労組(UIゼンセン同盟)の問題


  中島富雄氏の過労死については彼が現役の組合員であったこともふくめ、UIゼンセン同盟すかいらーく労組の責任は大きいものがあると考える。すかいらーく労組は組合員である中島富雄氏の過労死について、会社にいかなる申し入れを行い、協議をしたのか、公開すべきである。少なくとも組合員であった者の遺族にそれを伝えるのは労働組合としての最低限の義務ではなかろうか。また、もし中島富雄氏の過労死について会社に申し入れをせず、いかなる協議もしていないとしたら、それはなぜなのかを明らかにすべきであろう。まさか中島富雄氏の過労死が会社に申し入れ、協議するに値しないと認識されているのではあるまい。
  我々はその点を非常に危惧するものである。というのは次の文書をインターネット上で見つけたからだ。「junionレポート」(2005/5/10)の「パーフェクト・ストラテジー」というコーナーで、すかいらーく労働組合吉田弘中央執行委員長が「世界で一番元気な会社にする方法は」とのテーマで話したものが掲載されている。
  内容は次のような調子である。
  「(株)すかいらーくでは初代労働組合委員長、伊東康孝が現社長に就任しているほか、三代目労組委員長は現ジョナサンの社長です。最近でも私の前委員長だった芦川雅明氏が夢庵カンパニーの代表を、本社取締役と兼任で勤めています」と、「労使協調」を誇示している。
  そして、問題の発言がはじまる。「ある意味、店長は誰の助けもなく、全責任を負って店舗を切り盛りしていかなければならない孤独な存在です。忙しさも半端ではありません。しかし、本当にできる店長、つまり強い店長は、その中でも休みを取れるのです。なぜならば、しっかりマネジメントが出来れば1人でがんばっている店長を見て、誰かが『店長休んでください。私が代わりに働きますから』と言ってくれるからなのです。ここまで行くにはそれだけの人間的魅力がなくてはなりません。権限委譲のノウハウも必要です。『お前に任せるよ』と仕事をさせてもらえれば、やる気が芽生えます。そういう各人のやる気をマネジメントできるノウハウを身につける一助として、『人間道場』などの私たちの研修が機能すればこれほどありがたいことはありません」と述べている。さらに、「たとえば今ガストでは、10店舗につき、11名の社員をつけています。これを10店舗に二人、強い店長一人が5店舗を見る体制ができればそれは労組にとっても、人材育成の究極の目標といえます」と労働強化を主張している。
  「junionレポート」の発行日と発言内容に出てくる他の年月をあわせて勘案すると、吉田委員長がインタビューを受けて話した時期は2005年初期とみてほぼ間違いないと思われる。
  中島富雄氏が前年8月に過労死したことは吉田委員長はよく知っており、過労死して半年くらい後の発言であることを念頭にもう一度この文章を読み返していただきたい。
  吉田委員長の発言は、中島過労死に対し一片の反省も、会社への抗議の言葉もないどころか、中島富雄氏には「マネージメント能力がない、人間的魅力がないから休めない」、つまり過労死は彼自身の無能の致すところであり、彼自身の責任だと主張していると理解する以外取りようのないものである。
  労働組合役員出身者が会社の経営陣に上りつめる、いわゆる「出世の階段」になっていることを誇示することや、労働強化を労働組合が率先して主張することは労使癒着、御用組合、第二労務部のそしりを免れないと思われるが、それにもまして、吉田委員長は「できる店長、強い店長」での主張が中島富雄氏の過労死を冒涜するものになっていることを自覚し、責任をとるべきであろう。
  労働者にとって、労働組合とは一体なんなのであろうか。
東部労組では2005年12月9日、中島晴香さんとご家族を励ます会を開催し、今後の闘いの決意を固めた。


 「肩書きだけの管理職マクドナルド化する労働」の中で、中島富雄氏の妻晴香がすかいらーく労組に対して述べている言葉が紹介されている。

 「きっちりとかたをつける。それが私に課せられた使命なのよ、きっと。」


 従業員を奴隷のようにこき使う企業と、労使協調を誇示する労働組合。最悪の取り合わせである。さらに、どういう食材が使われているかも不明である。健康志向の消費者からは、すかいらーくは忌避されている。今回の事件をきっかけに、すかいらーく離れは加速する。目先の利益追求が自らの首を絞めることになることに、経営陣も御用労働組合もおそらく気づいていない。