偽装請負の蔓延

偽装請負―格差社会の労働現場 (朝日新書 43)

偽装請負―格差社会の労働現場 (朝日新書 43)


 私の頭の中では、偽装請負=キャノン、という図式ができていた。しかし、本書を読んで、認識をあらためざるをえなかった。偽装請負を行っているのは、キャノンばかりではない。多くの大企業が違法行為に手を染めている。本書では、キャノンと松下電器産業のいう二つの大企業グループの例を取りあげ、その実態をつぶさに紹介している。


 キャノン御手洗富士夫会長の出身地大分に、最新鋭デジタルカメラの工場がある。大分キャノンの2つの工場あわせて6,000人近くの働き手のうち、正社員やアルバイトなどの直接雇用は1,200人、キャノンの人材派遣子会社キャノンスタッフサービスからの派遣スタッフが500人、残りの約4,000人が請負労働者だった。直接雇用率はわずかに20%である。
 請負とは、受注者が発注者に依頼された仕事を完成させ、その結果を引き渡して報酬を得ることを言う。建設業の下請けなどが例としてあげられる。しかし、キャノンのような製造業では、正社員と同じような仕事をしながら、場所を提供し仕事を請け負わせているという偽装が横行している。雇用契約を結ばなければならないにも関わらず、形として請負契約であるように装う。これが「偽装請負」である。


 キャノンの御手洗会長の発言が本書に紹介されているので、引用する。

 「急激に景気が上がってきたときに今までのシステムだと、4月1日に大量に人を採って終わりなんですね。それ以外の供給源がなかった。4月1日に新卒をパッと入れ、そのとき入れなかったら1年待たないといけない。それが海外に行った理由の一つ。それが、ああいう分野が出来たことで、会社が一人ひとりに声をかけるのではなく、男女・年齢にかかわらず大量に一時的に雇うことができるようになった。」
 「ああいう分野」とは、派遣や請負の業界のことを指す。御手洗は続けて次のように述べている。
 「これは非常にメリットだ。急激に業績が回復した場合に、そういう業界があってくれたから、人の補充ができた。」
 こうも語った。「私はできるだけ日本で仕事をしようと、日本の失業を防ごうという覚悟でやってきた。だから、人が必要になったとき、海外にある工場を拡充するのではなく、日本で採用したかった。そういった採用が、ああいう業界ができることで容易になった。」
 御手洗は、派遣や請負の労働者について語るとき、「雇う」と言ったり、「採用」という言葉を用いているが、適正な派遣、適正な請負なら、キャノンが労働者を雇うことはない。派遣の場合なら、企業は派遣労働者を使用するだけだし、適正な請負契約なら請負労働者を使うことさえできない。それを「雇う」と御手洗が言うのは、キャノンが派遣や請負の労働者を雇用している実態があると図らずも自白した格好となっている。


 御手洗会長自身の言葉で事実を語らせ、派遣や請負の違法性を「自白」という辛辣な言葉を用いて、表現している。

 御手洗は、それまで生産現場にあったベルトコンベヤーを撤去し、代わりに、作業者がチームを組んで多数の行程をこなす「セル生産方式」を導入し、作業の効率化に大成功した。ベルトコンベヤーではベルトの流れる速さに作業の速さが制約されるが、セル方式だたお、労働者の習熟度合いに比例して作業効率を高めることができた。そうした成功体験について説明するとき、御手洗はしばしば、「セル方式で延べにして2万2000人を減らした計算となるが、増産もあったので、半分くらいが残り、実際に減らしたのは約1万人」と自慢する。そして、その約1万人の減らし方については、「別にクビを切ったわけじゃありません」と強調し、「外部から手伝いに来ていた人が引き揚げていっただけです」と述べる。


 仕事の時だけ「雇い」、必要がなくなったら自由に「クビを切れる」。そのような形で働く者を使い捨てる。


 この間の事情について、奥野修司氏は、文芸春秋論点プラス、激務、ピンハネ、長時間労働ーー日雇い派遣のこれが悲惨な現実だで次のように述べている。

規制緩和が派遣ビジネスを肥大化させた


 それにしても、いつからこんな社会になったのだろうか。
 戦後、職業安定法第四四条で労働者供給事業を禁止し、さらに労働基準法第六条(中間搾取の排除)で〈他人の就業に介入して利益を得てはならない〉として、派遣業のような人材サービスを禁止した。戦前は、労働ボスによるピンハネが横行したからである。
 やがて高度経済成長による人手不足から労働法を改正。一部の専門職に限って派遣を認めたが、これはあくまでも例外だった。
 ところが、バブルが崩壊すると、企業は大量のリストラをし、かわりに安価で雇用調整しやすい労働力のニーズが高まった。旧日経連が一九九五年にまとめた『新時代の「日本的経営」』は、それを体系化したものだ。それに応じて九六年と九九年に派遣法が改正され、労働の規制緩和がいっきに進められた。なかでも九九年の改正では、それまで派遣先を制限していた規制を、製造業や港湾業務など四つをのぞいてとっぱらってしまう。このとき軽作業派遣も認められたのだが、これは人材派遣の中でもスポット派遣、日傭い派遣ともいわれ、かつて手配師がやっていた人出し稼業のことだ。それまで誰も手をつけなかったのを、九二年にフルキャストが、九五年にグッドウィルがはじめ、いまもこの二社の独壇場になっている。
 これが第一の労働ビッグバンとすれば、第二のそれは〇四年の改正だろう。禁止されていた製造現場への派遣を、一年という限定で認めた(〇七年から三年に延長)から、労働市場は一気に拡大した。これがいかに派遣業界を肥大化させたか−−〇四年に九三〇億円だったグッドウィルの年商が、翌〇五年に一四二一億円と、二倍近くにまで跳ね上がったことでもよくわかる。さらに派遣業界全体でいえば、〇二年に二兆円だった市場規模が、〇六年には四兆円を突破した。


 大企業の金儲けのために、「労働市場」の規制緩和をし、その果実を大企業と派遣会社とで分け合う図式ができ上がった。その結果、若者を中心に雇用環境が悪化し、ワーキングプアネットカフェ難民を生んだ。
 グッドウィルフルキャストの不祥事に伴い、派遣や請負の違法性が白日の下にさらされた。労働行政においても派遣業界に対する規制強化の動きが出てきている。現在の状況は、バブル崩壊後のあだ花と信じたい。さもないと、このまま日本がこわれてしまいそうな気がする。若者が希望を捨てた社会に未来はない。