「医療費抑制の時代」を超えて ーイギリスの医療・福祉改革

英国の医療改革をモデルに日本の将来への提言
人手不足による過重労働を日々実感している医療者にとって,昨今の医療費抑制政策への不安は現実問題になりつつある。本書は厳しい医療費抑制政策により荒廃した英国の医療現場を生々しく伝え,ブレア政権以降の医療費拡大を前提とした「評価と説明責任」を核とする改革をモデルに,わが国の今後の医療・福祉像を鮮やかに提示する。

 医学書院のホームページ「医療費抑制の時代」を超えてより


「医療費抑制の時代」を超えて―イギリスの医療・福祉改革

「医療費抑制の時代」を超えて―イギリスの医療・福祉改革


 「医療崩壊」を論じるにあたっての必読書である。「医療崩壊」の元祖英国の医療制度について、これほど詳細に分析した書籍はない。


 近藤克則氏は、緻密な分析の上、分類し、わかりやすく提示することが得意である。数字を使った表現があちこちに見受けられる。

# NHS荒廃の4つの原因

  • 医療費を長期間、しかも先進国で最低の水準に抑制し続ければ、荒廃して当たり前だ
  • 組織が巨大化し官僚化した
  • 改革疲れ
  • 医療従事者の士気の低下

# 「安くて、速くて、質のよい医療」はありえない。
 医療サービス研究の分野では、医療制度や政策を評価する際に、3つの基準、効果(Effectiveness)と効率(Efficiency)と公正(Equity)でバランスよく評価すべきであることが常識になっている。医療費抑制により改善する「効率」は3つのモノサシの1つに過ぎず、「効率」ばかりに注目して改革すると、他の2つにしわ寄せが生じる。ここで注意すべきは、この3つの基準をすべて同時に満たすことはできない点である。満たすことができるのは、「3つのうち2つまで」というのがコンセンサスとなっている。

# 第三次医療革命

  • 第一次医療革命: 医療費拡大の時代(主導権は医師など医療専門職が握っていた)
  • 第二次医療革命: 医療費抑制の時代(主導権は医療費を払う側に移った)
  • 第三次医療革命: 評価と説明責任の時代(主導権を握るのは国民・患者である)

# NHS改革の成果が見られない4つの可能性

  • GDP比でみた医療費水準が他国と比べ低すぎる。
  • 投入された新たな資金が欠損の穴埋めに消えてしまった。例えば、安すぎた看護師の給与の引き上げや、長時間であった研修医の労働時間の短縮、病院を運営するトラストの負債の返済などに使われた医療費は、新たなサービス供給を生み出さない。
  • 人手不足。医師や看護師もEU諸国より低く、NHSプランで増員が図られたとしても、EUより低い水準にとどまるという推計がある
  • より根本的な問題としてインセンティブ(動機)があげられている。外圧による誘導は、内発的な動機づけに対してネガティヴな影響があることが知られている。

# なぜ日本で医療費抑制の弊害が顕在化しないのか
 一つ目の側面は、「存在しているが見えにくい」。もう一つの側面は、イギリスと異なる提供体制の問題がある。これには4点ある。

  • 医療機関の競争の激しさ。日本では患者がその都度自由に受診先を選べる。
  • 民間医療機関中心であるため意思決定が現場に近いところでなされている。
  • 出来高払い中心で単価の低い診療報酬が公的に定められている。サービス提供量を増やすインセンティヴとして働くとともに、医療費抑制との両立を可能にした
  • 医療従事者の士気の高さ。


 医療費抑制のために生じた英国の惨状と、ブレア政権による改革の営みがつづられている。本書は2004年に出版された。近藤克則氏は、日本においても医師の士気が低下してきているのではないかと危惧していた。その後、「立ち去り型サボタージュ」という言葉に象徴されるように、より困難な職場から医師が姿を消しはじめている。本書に描写された英国の姿は、日本における「医療崩壊」を予言しているように見えてくる。


 近藤克則氏は、「評価と説明責任の時代」に向けて、という文章の中で、政策評価の重要性を指摘している。その中で、公共サービスの新しいマネジメントであるニュー・パブリック・マネジメント(NPM)を紹介している。その中に、「成果・結果の重視」、「評価の重視」という項目がある。

# ニュー・パブリック・マネジメント(NPM)とは

  • 公的セクターの役割の見直し
  • 市場メカニズムの重視と民間活力の活用
  • 効率の重視
  • 成果・結果の重視

 古い管理では、結果責任は問われない。「成果(アウトカム)」より「過程(プロセス)」に重きが置かれていた。NPMでは形式やプロセスだけでなく、成果を上げることを重視する。

  • 評価の重視

 成果(アウトカム)を重視した新しいタイプの政策評価をする必要がある。成果主義を導入し、成果を報酬に反映するのであればなおさら、関係者が納得するような成果の評価が必要となる。
 各種事業の費用対効果など効率を経済学的に評価して比較することも必要である。
 行政が民間に委託する場合に、提供されるサービスの量だけでなく質までチェックすることも必要になってきた。また行政は国民や市民に対する説明責任(アカウンタビリティー)が求められるようになってきている。


 ニュー・パブリック・マネジメント(NPM)のおける評価重視の実例を、ブレアのNHS改革の部分で述べている。この部分に有名なEBMの説明がある。

 国が保障すべきサービス水準を、NSF(National Service Framework)やNICE(National Institute for Clinical Exellence:国立最適医療研究所)で示す。NSFでは、最良の実践(Best Practice)をEBM(evidence-based medicine)によって明らかにする。医療の質や成果については、(1)NICEやNSFで推奨されたガイドラインが遵守されているかどうかCHI(Commission for Health Improvement:保健医療改善委員会)が監査、(2)PFI(Perfoemance Assessment Framework:業績評価枠組み)によるベンチマーク、(3)全国患者利用調査でモニタリングされる。


 NSFは医療サービスが到達すべきスタンダードの枠組みをEBMに基づき国として示したものである。例えば、脳卒中をみると、15ページにわたって、目的、スタンダード、根拠、介入、サービスモデル、行うべきこと、年度計画が示されている。


 PAFとは、パフォーマンス(業績)を数値化した指標で評価し他と比較する一緒のベンチマーキングである。NHSでの例を挙げると、平均在院日数や待機期間6ヶ月未満の入院患者割合などプロセスのデータから、糖尿病のうち網膜症がある患者割合、脳卒中患者の入院後30日以内死亡率などアウトカムの指標まである。しかも個別の病院名入りで閲覧でき、成績の善し悪しが一目瞭然である。


 しかし、何にでも限界がある。アウトカム指標の中で一見誤差が少ない「術後30日以内の死亡率」をみても、実際は入院中の死亡率が使われていた。さらに、数字は巧妙に操作可能である。

 NHSトラストのうち、PAFで最高のパフォーマンスを上げ3つ星を得た病院は、それぞれ100万ポンド(約1億9,000万円)を上限とした報奨金を受け、中央からのコントロールを逃れ、より自由な運営ができる財団トラストに移行できるようになった。


 ベンチマークで変化の把握や他との比較がしやすいPAFや格付けは、一見、客観的かつ科学的で、これで改善しているのならば、「NHS改革が成果を上げていることは間違いない」ようにも見える。しかし、使い方によって主観的で部分的かつ恣意的な評価や運用もありうることを見落としてはならない。


 3つ星病院とは言い得て妙である。回復期リハビリテーション病棟に導入されようとしている成果主義と比べ、緻密で科学的な構造を持っていることが分かる。しかし、それでも恣意的な運用を免れえない。


 さらに、近藤克則氏は、政策評価研究における考え方を提示する。

# 政策の3つのレベル

  • 政策・ポリシー(Policy): 例)介護予防
  • 施策・プログラム(program): 例)脳卒中予防
  • 事業・プロジェクト(project): 例)栄養指導

# 政策の質を評価するための3要素
構造・ストラクチャー(straucure)、投入・インプット(input): 例)施設基準
過程・プロセス(process)、産出・アウトプット(output): 例)サービス実績、内容
成果・結果・アウトカム(outcome)、インパクト(impact): 例)死亡率、在宅率、自立度
 この3要素すべてを評価し分析しなければ、原因が特定できず、適切な対策もとりえない。


 全国回復期リハビリテーション病棟連絡協議会は、マンパワーを増やし(構造・ストラクチャーの向上)、チーム医療を徹底すれば(過程・プロセスの改善)、ADL改善や自宅復帰率の上昇(成果・アウトカムの改善)をもたらす、という路線を主張していたことになる。
 今回、厚労省は、主治医の専従をはずしたうえで(構造・ストラクチャーの低下)、自宅退院率は重症患者の日常生活機能指標の改善(成果・アウトカムの改善)を求めている。患者選別やベンチマークする数値の改ざんなどモラルハザードを推奨するような制度改悪としか思えない。


 今回、引用した部分は近藤克則氏の主張のほんの一部である。日本の医療の現状を別の視点から見直すことができ、繰り返して読むたびに新たな発見がある。ご一読をお勧めしたい。