ドラフト制をヒントに、医師を公的に配置(朝日新聞社説)

 朝日新聞(2008年1月28日)に、「希望社会への提言(14)ー医療の平等を守り抜く知恵を」という社説が掲載された。

希望社会への提言(14)ー医療の平等を守り抜く知恵を
・ドラフト制をヒントに、医師を公的に配置
・運営を県単位にして、診療報酬を決める権限も

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 社会保障の各論として、まず崩壊が心配されている医療から考えたい。

 「薬指だけなら1.2万ドル、中指は6万ドル。どっちにします?」。事故で指を2本切断した無保険者は手術に入る前、医者からこうたずねられる……

 昨夏、米国の医療の実態を描いたマイケル・ムーア監督の「シッコ」は、日本でも大きな衝撃を与えた。

 公的な医療保険は高齢者と低所得者に限られ、民間保険に入れないと無保険者になる。米国ならではの光景だ。

 日本では、すべての人が職場や地域の公的医療保険に入る。いつでも、どこでも、だれでも医者に診てもらえる。「皆保険」は安心の基盤である。シッコの世界にしないよう、まず医療保険の財政を確かなものにする必要がある。


 ここまでは同意。

 患者負担を除いた医療費は、高齢化で06年度の約28兆円から25年度には48兆円へ跳ね上がる、と試算されている。それをまかなうため、保険料と税金がともに10兆円前後増える計算だ。

 試算では、サラリーマンの月給にかかる保険料率は平均して約1ポイント上がる程度だが、自営業者や高齢者が入る国民健康保険は、いまでも保険料を払えない人が多く、限界に近い。患者負担を引き上げるのはもう難しかろう。皆保険を守るためには、保険料と患者負担の増加を極力抑え、そのぶん税金の投入を増やさざるを得ないのではないか。

 社会保障を支えるためには消費税の増税も甘受し、今後は医療や介護に重点を置いて老後の安心を築いていこう、と私たちは提案した。医療は命の公平にかかわるだけに、優先していきたい。

 もちろんムダもある。治療が済んでも入院を続けて福祉施設代わりにする。高齢者が必要以上に病院や診療所を回る。検査や薬が重複する。こんなムダを排していくことが同時に欠かせない。


 意見を述べたい部分は山ほどあるが、ここは今回はパスする。

 医療保険の財政基盤が固まったとして、医療の現場は大丈夫か。そこが最近は怪しくなってきた。

 病院から医師がいなくなっている。患者のたらい回しもよく起きる。このままでは産科や小児科だけでなく、外科や麻酔科も足りなくなる。近ごろ医師の不足や偏在が目にあまる。

 医師は毎年4000人ほど増えているが、人口1000人当たりの医師は2人だ。このままいくと韓国やメキシコ、トルコにも抜かれ、先進国で最低になるともいう。先進国平均の3人まで引き上げるべきだ。医師の養成には10年はかかる。早く取りかからなければならない。

 医師が充足するまではどうするか。産科や小児科など、医師が足りない分野の報酬を優遇する。あるいは、医師の事務を代行する補助職を増やしたり、看護師も簡単な医療を分担できるようにしたりして、医師が医療に専念できる環境をつくることが大切だ。


 マスコミの「医療崩壊」に関する認識としては、可もなく不可もなくというレベル。問題は次の部分。

 そのうえで、診療科目の選択や医師の配置に対して、公的に関与する制度を設けるよう提案したい。

 医師の専門分野が偏らぬよう、診療科ごとの養成人数に大枠を設ける。医師になってからは、一定期間、医師の少ない地域や病院で働くことを義務づける、というものだ。

 配置を受ける時期は、研修時や一人前になったとき、中堅になって、といろいろありうるだろうが、義務を果たさなければ開業できないようにする。

 医師は命を預かるかけがえのない仕事である。だから私立医大へもかなりの税金を投入している。収入が高く、社会的な地位も高い。たとえ公立病院に勤務していなくても、公的な職業だ。

 自由に任せていては、医師の偏在は解消できない。社会の尊敬と期待にこたえて、このように一時期の義務を受け入れることはできない相談だろうか。


 医師養成制度に関する無知が露呈されている。


 「医師の専門分野が偏らぬよう、診療科ごとの養成人数に大枠を設ける。」医師の専門性について国家統制をしている国がもしあったら教えていただきたい。


 「配置を受ける時期は、研修時や一人前になったとき、中堅になって、といろいろありうるだろうが、義務を果たさなければ開業できないようにする。」朝日新聞は医師研修制度に関する次の規定を知らないようだ。厚生労働省新制度に関するQ&Aから引用する。

(質問) 臨床研修を受けないとどうなるのですか。


(回答) 師法第16条の2の規定では、診療に従事しようとする医師は臨床研修を受けなければならないこととされています。診療に従事する前に臨床研修を受けない場合は、この規定に違反することになります。
 また、医療法の規定では、臨床研修を修了していなければ、診療所を開設する際に都道府県知事の許可が必要となり、また、病院又は診療所の管理者となることができなくなります。


 「医師は命を預かるかけがえのない仕事である。だから私立医大へもかなりの税金を投入している。収入が高く、社会的な地位も高い。たとえ公立病院に勤務していなくても、公的な職業だ。」
 「自由に任せていては、医師の偏在は解消できない。社会の尊敬と期待にこたえて、このように一時期の義務を受け入れることはできない相談だろうか。」
 医師養成に税金が使われているから、医師は政府の決めるまま配置されても拒否できないという論理は、良識のある主張とは思えない。初期研修義務化+医師の望まない場所での赴任義務化となると、いつ専門医としての研修を行うのだろう。総合的力量をもった医師がプライマリケアの第一線で働くことは求められている。しかし、プライマリケア医は一定の研修が必要な立派な専門医である。もし、地域医療不足を解消したいのなら、何より受け皿となる医療機関の医療内容の向上と研修の充実が必須である。

 以上の制度ができたとき、医師を計画的に養成するのは中央政府の仕事だ。しかし、それ以後は思い切り分権を進め、地域政府にまかせるべきだ。

 前述した配置も、都道府県が地元の病院や医学部、医師会、市町村などと相談しながら決める。医師の多い県から出してもらう必要も生じるだろう。

 その際には、プロ野球のドラフト制度をヒントにしてみてはどうだろうか。新人だけでなく中堅の医師を含めて、医師不足の県が、医師の多い県から優先的に採用できるようにするのだ。

 4月からは、75歳以上の高齢者が入る県単位の高齢者医療制度が始まる。中小企業のサラリーマンが入る政府管掌健康保険は全国一本だったが、これも10月から県ごとに運営される。市町村の国民健康保険や小さな健保組合も、県単位への統合を進めている。

 したがって、医療の負担と給付を決めるのも県の仕事にするのが自然だ。

 医療への診療報酬は政府の審議会で決めている。これを、政府が決めるのはその基準にとどめ、知事が最終的に決めるようにしたっていい。必要とされる医療は地域によってさまざまなので、地域の実情に合わせやすくなるだろう。

 長野県は、予防に力を入れて高齢者の医療費を全国最低に抑えつつ、長生きを実現している。県が責任をもつことで、そんな工夫が広がるよう期待したい。


 医療の世界をプロ野球に例えるなど、論評する気にさえならない。後期高齢者医療制度に対する無批判、破綻に瀕している地方財政を考えると、医療費はいっそう抑制される。

 朝日新聞の社説を読んで、ごもっともと思う医師がどの程度いるのか、ぜひとも医師・医学生に対する意向調査を行っていただきたいと切に願う。