北海道黒松内国保病院の言い分

 社会と医療=本音のカルテ=という医師ブログがある。北海道における医療崩壊の実情について積極的に発信されている。


 このブログに、地域医療集約化の意味するもの==北海道黒松内国保病院からの経験==という記事が掲載された。北海道で最も病床利用率が低い黒松内町国民保険病院に勤務する秀毛寛巳先生が北海道医師会誌に投稿した内容について紹介されている。題名は、『医療における集約化と言う言葉の部分的な地域的解釈 ー 占床率ワーストワン公立病院の言い分 ー 』である。ダウンロードして拝読した。


 肝硬変で吐血した男性の初期救急を行い、受け入れ先探しに難渋しながらも、なんとか100km以上離れた札幌まで2時間半かけて搬送できたという経験が淡々と綴られている。地域医療を守ろうとする医師の矜持を感じる。頭が下がる思いがする。もし、これが病院ではなく、看護スタッフもほどんどおらず必要な薬剤もそろっていない診療所だったら、救命できる患者も亡くなってしまっただろうということは容易に想像できる。


 小さな自治体から病院を奪うことは、そこに住む住民の生命や健康に責任を果たさないということを宣言していることと同じである。秀毛先生の文章の最終部分を私も引用させていただく。

 総論的に、消防や自衛隊や警察が赤字だなどと言われないのに、採算性がはじめからないと国が認めている僻地の公的医療の病院でさえもが赤字などという言葉で報じられ、本当は稼がないといけないような誤解をうむようにし向けられている事自体が問題であるが、どうしてこんな簡単な認識が地方においてさえいつまでたっても改まらないのか不思議である。  
 医療にかかる費用は電気や水道やガスや灯油やその他の生活を維持する必要経費と同じ質のものであり、また眼に見えずとも生活の安全や外的への抑止力に寄与しているといった認識と同等か、よりもっと身近で必要なレベルで理解されないのか、本当に不思議である。
 そして、そういった命の格差をつけようとしている地域からも都会と平等に税金は取り立て、保険料も同じく徴収しょうとしている国の姿勢ももっと不可解である。医療はもうかるというような誤解を与えたのは一体誰なんだろうか?

 過疎地域から始まった医療崩壊は、ゆっくりとしかし確実に日本全体を蝕んでいく。