大崎市民病院再編問題

 宮城県北部に大崎市という市がある。2006年に古川市と近隣の6町村が合併し誕生した。東北新幹線古川駅周辺から山形・秋田県境まで広がる東西に広大な市である。


 大崎市には、もともと自治体立医療機関として、4つの病院と1つの診療所があった。古川市立病院が大崎市民病院と名前を変え中核的な役割を担うことになり、3つの旧町立病院が分院となった。4病院1診療所を一体として運営することにより、医師配置の柔軟性を高め、経営効率が上がるだろうと当初は期待された。

 しかし、慢性的な医師不足、巨額の赤字などを理由とし、大崎市は4病院1診療所を1病院4診療所に再編する案を提出してきた。寝耳に水の旧町民たちは反発し、大規模な存続活動が展開されている。(参照:大崎市民病院再編問題に関する毎日新聞配信記事2007年12月18日付)。旧自治体病院を診療所に転換する動きは、同じく平成の大合併で生まれた登米市でも起こっている。合併後わずか1年にして、バラ色に見えた合併が悪夢へと変わった。「合併しない宣言」をし、自立への道を探っている福島の矢祭町の先見性が今更ながら思い起こされる。


 東北地方の郡部はもともと医療過疎地域であり、自治体病院の果たしてきた役割は大きい。しかし、いずれも医師確保には難渋しており、標欠病院になっているところも少なくない。入院医療が不可能となると、過疎が一層進むという悪循環を生む。過疎地域においては、医療崩壊は地域崩壊と同義語である。


 分院の一つ、大崎市民病院鳴子分院にはある種の思い入れがある。リハビリテーション医を志したとき、鳴子温泉街の中にあった東北大学附属鳴子分院に見学に行ったことがある。鳴子町には、国立鳴子病院もあり、東北地方のリハビリテーション医療のメッカだった。1994年、東北大学医学部本院にリハビリテーション講座が開設されたと同時に、東北大学分院は統合された。跡地は町立駐車場となっており、日帰り温泉に行くたびに当時のことを思い出す。一方、国立病院の方は、国の「国立病院・療養所の再編成・合理化の基本指針」に基づき、1999年に鳴子町が経営移譲を受けた。宮城県北唯一の回復期リハビリテーション病棟があり、小さくてもなくてはならない病院として、地域の信頼を集めていた。そして、昨年、平成の大合併を受け、大崎市民病院の分院となった。その鳴子分院が閉鎖されようとしている。旧鳴子町は病床空白地域となる。


 大崎市の動きは、総務省公立病院改革ガイドラインの先取りである。CBニュース公立病院の改革GL案まとまる(2007年11月13日付)から引用する。

 総務省の公立病院改革懇談会は11月12日、病床利用率が3年連続して70%を下回った公立病院に対して診療所への移行を含む抜本的な見直しを促すことなどを盛り込んだ改革ガイドライン(GL)案をまとめた。総務省は今後、GL案について都道府県からの意見を聞く考え。正式なGLは年内に固めて都道府県に通知し、2008年度内に改革プランを策定するよう求める。

 国は、道路とか港湾・空港などのインフラ整備には熱心だが、ソフトなインフラとしての医療整備には実に冷たい対応をとる。医療崩壊は郡部では既に現実のものとなってきている。